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『主を待つ喜び (詩編33編) 』
信仰生活の喜びは、ある意味で「待つ」喜びです。「待つ」ことが喜びでなければ、信仰の歩みはつらいものとなるでしょう。
この詩編では、こう告白しています。「我らの魂は主を待つ。・・・我らの心は喜び、聖なる御名に依り頼む。」(20,21節) 喜んで、主を待つと告白しているのです。
なぜでしょうか。第一に、主を賛美しつつ待つからです。「主に従う人よ。主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。」(1節)
第二に、主以外のものが、どんなに頼りがいがあるように見えても、そこに依り頼まないからです。「馬は勝利をもたらすものとならず、兵の数によっても救われるのではない。」(17節)
賛美しつつ「待つ」喜びを、主がわたしたちの魂にも教えてくださいますように。