| 教会委員会だより | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 発行日: 2007年9月16日 ( 日 ) | |今後の予定| | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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異邦人にとって、祈祷の目的は、神の御心を動かして自分の思いや願いに従わせることではないでしょうか。そのために彼らは「くどくどと」祈り、「言葉数を多く」します。(マタイ6:7)そして、それによって神の御心を動かそうとします。多かれ少なかれ、わたしたちもそのように祈ることは避けられません。それゆえ、イエス様の次のご命令を思い起こす必要がなくなることはないでしょう。「異邦人のようにくどくど述べてはならない。」(マタイ6:7)クリスチャンにとって、祈祷の目的は、神を自分に従わせるのではなく、自分が神の御心に従うことです。「主よ、主よ」と言いながら、主を自分の僕としてはなりません。 2、 祈りは聞くことから始まる。(聞く)神の御心は何であるか。これこそが決定的に重要です。それゆえ、祈りは聞くことから始まらなければなりません。
わたしたちの祈りは、確かに対話でなければなりません。しかし、あくまで主がまず語りたもうのです。聞くこともなく、自分の思いや願いだけを話し続けるとすれば、それは独り言です。いろいろな独り言の祈りがあります 。
3、 日々、新しく聞くことによって、祈りは継続される。(聞く) 「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」(箴言1:7) 主を畏れることがないなら、正しく対話することはできません。主の御言葉を軽んじて聞き従わないなら、いったい主と何を対話することができるでしょう。「教えに耳をそむけて聞こうとしない者は、その祈りも忌むべきものと見なされる。」(箴言28:9)また、本当に聞くことができたなら、わたしたちの祈りはもっと単純なものとなるでしょう。主の御約束には信頼できるように、ご命令には従うことができるように求めて祈るのです。くどくどと祈る必要はなくなります。 (牧 師) |
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教会委員会から 1、8月26日(日) 学びと懇談の会「福音の伝達手段について 」
2、 ウエストミンスター小教理問答の使用
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