| 教会委員会だより | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 発行日: 2007年5月27日 ( 日 ) | |今後の予定| | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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キリストを戸の外に立たせたまま、家の中に迎え入れずに「祈る」こともできます。しかし、そのような祈りは、独り言のようになってしまうのではないでしょうか。独り言では、何のために祈っているのか、わからなくなってしまいます。 「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。」(黙示録3:19)キリストを家の中に招き入れたなら、随分叱られたり鍛えられたりして、大変なことになりそうに思われます。確かに、キリストを家の中に招き入れたなら、「わたしは金持ちだ。わたしは満ち足りている。何一つ必要なものはない。」などと言ってはいられなくなるでしょう。神の御前では、自分が裸の者であり、目の見えない者であることを嫌というほど自覚させられることになるかもしれません。しかし、同時に、「裸の恥をさらさないように、身につける白い衣」が売られていることをも知ります。また、「見えるようになるために、目に塗る薬」も売られているのです。(黙示録3:17)それは実に高価であって、わたしの支払う代価では買えません。しかし、キリストが支払ってくださいます。ただ、感謝してキリストをお迎えすれば、十分です。そうすれば、キリストが、わたしたちを叱ったり、鍛えたりしながら、「白い衣」を身に着け、「目に塗る薬」によって目を開かれた者としてくださるでしょう。 戸の外にキリストを立たせたまま祈り続けても、主からのお答えはなかなか見えません。しかし、キリストの御声を聞いて戸を開けて家の中にお迎えするなら、外の様子は変わらなくても自分の中に答えを見始めることができます。キリストの御名によって、キリストの御心にかなうことを祈り始めたからです。 「はっきり言っておく。 (牧 師) |
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教会委員会から 1、 加入
2、6月22日(金) 東北中会連合婦人会(午前10時〜午後3時)
3、 大会の開拓伝道から、中会の開拓伝道へ
3、20周年記念の「プラザ」誌の発行
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| 教会の予定 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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