| 教会委員会だより | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 発行日: 2007年4月15日 ( 日 ) | |今後の予定| | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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「
どこででも祈ることです 」 実際の教会は、ほんとうに不完全な存在です。カルヴァンはこう教えます。「もし、絶対的完全さという基準をおくなら、教会はなくなってしまうであろう。というのは、われわれのうちの最善のものですら、理想よりはるかにかけ離れているからである。そして、ほんの少しの進歩しかしない多くの人を、拒絶しなければならなくなるからである。」このように教えるからといって、カルヴァンは妥協を勧めているわけではありません。「完全さは、われわれが目標とする最終の標的であり、われわれの努力すべきゴールである。義務の一部だけ果たして、他は自分勝手に省いてしまうような妥協を、神に対してすることは正しくない。」確かに基準を曲げたり、引き下げたりするのは、彼の憎むところです。理想からはるかにかけ離れた教会の姿を見て、怒ったり争ったりせず、かといって妥協したり曖昧(あいまい)にしたりせずに前進するように勧めます。「主の道を間断なく前進するために、最善を尽くすことをやめてはならない。またなしとげた事が小さいからといって、失望しないようにしよう。」(「キリスト者の生活綱要」5章1節) 理想とかけ離れていることの数々に気づき、それらを悲しんで祈る人は幸いです。その人は慰められます。(マタイ5:4)そして、主にあって堅固な希望を持つでしょう。自分に対してであれ、他の何ものに対してであれ怒りを覚える時は、それが本当に神から出た怒りであるかどうか、よくよく吟味しなければなりません。「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。」(ヤコブ1:19、20)自分の足りなさや教会の足りなさを悲しむことはあっても怒り続けずに、忍耐をもって祈ることが必要です。そのような祈りを積み重ねてこそ、ほんとうに怒らなければならない時や、ほんとうに争わなければならない時にも、腰抜けにならずに怒ったり争ったりできるかもしれません。少々耳の痛い言葉ですが、内村鑑三の指摘は心に留めておく価値があります。 「日本人は浅い民である。彼らは喜ぶに浅くある。怒るに浅くある。彼らはただ我を張るに強くあるのみである。忌々(いまいま)しいことは彼らが怒る時の主な動機であって、彼らは深く静かに怒ることができない。まことに彼らの或る者は永久に深淵(しんえん)に怒ることのいかに正しい神らしいことであるかさえ知らない。」(「浅い日本人」)主が、祈りの修練を通して、わたしたちを少しでも深い者に造り変えてくださるよう、祈ります。
(牧 師) |
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教会委員会から 1、3月25日(日)学びと懇談の会
2、6月22日(金) 東北中会連合婦人会(午前10時〜午後3時)
3、20周年記念の「プラザ」誌の発行
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| 教会の予定 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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